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久米正雄あてのダイレクト・メール

今年度の紀要では、当館が去年入手した久米正雄関係資料について紹介します。
この資料群は、昭和戦前期に作家久米正雄が鎌倉の自宅で受け取った
百貨店・商店からの案内状(ダイレクト・メール)や請求書の類が
そのほとんどを占めています。

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横浜松屋の売り出し案内状


それにしても、DMなんかをよく取っておいたな、
と思ってしまいます。
小説家だけに、小説に生かすための資料にしておいたのか、
とも思いますが、久米は小説については
「不勉強」だったようです。
たとえば次のような証言があります。

 太平洋戦争の末期に、鎌倉の小説家が殆ど食うに困って蔵書を供出して、
 鎌倉文庫という貸本屋を開業した。
 その時、一番沢山蔵書を供出したのは久米だった。
 我々が車を曳いて本を取りに行くと、
 人から送って来た著書や寄贈の本が、全部封をしたまま何百冊となく出て来た。
 それも一年や二年のことではない。
 何十年の間、封をしたままだったので、封を開いて見ると、
 どれもまるで新刊書のように真新しかった。
 「こいつはひどいや。俺の贈呈した本も、こういう憂目に合っていたのかなあ」
  誰かがそいう言って嘆く声が聞えた。

 (小島政二郎「書けない人々 第一話 久米正雄〈上〉」『中央公論』昭和41年4月号)


しかし、当館の百貨店・商店からのDMはほとんどが開封されています。
また、実際にいろいろな品を購入したり、案内状に誘われて?諸所で遊んでいたようで、
その請求書・領収書の類も多く見られます。
たとえば、野球のユニフォーム(鎌倉の文士野球チーム老童軍で使用したのかも?)、
丸善で誂えたポロシャツ、
横浜明治屋のパン(一ヶ月ほぼ毎日買っています)、
常盤町の料理屋美登里の飲食代、
藤沢カントリークラブのゴルフのプレイ代金請求書などなど。
これらの請求の一部について、久米はなかなか支払いをしなかったようで、
数か月してから再度同じ品物の請求書が出されたりしています。

久米には、
 たちまちにして流行作家にのし上った彼は、
 文学よりも生活を愛し、事実、作家としてよりも社会人として印象づけられた。
とか
 (久米は)鎌倉ではカーニバル祭などをはじめて社交人としてもよく動いた。
 (中略)だが、惜しいかな、芥川龍之介のような精進努力、刻苦精励の人ではなかった。

などの評があります。

しかし、小説に「精進努力」せずに、「生活を愛し」たがゆえに、
昭和戦前期の人々の生活・文化について興味深い情報を提供する
本資料群がかたちづくられた、とも言えそうです。

なお、この久米正雄関係資料は、今年9月からの当館企画展
「モダン都市横濱案内」展で初公開する予定です。

(吉)

by tohatsu | 2010-03-21 17:07 | 調査余話  

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