66年前の横浜 その1 戦前の伊勢ブラ

10月に発行された「ハマ発Newsletter」第16号に
「昭和はじめの横浜中央電話局」
と題して
昭和戦中期、当館の前身・横浜中央電話局に
交換手としてお勤めだった土屋節子さん
の証言を紹介しました。

ニュースレターが発行されたちょうど同じ時期(10月4日)、
土屋さんと同じく昭和16年から交換手として電話局にお勤めだった
鶴見すみ子さん(静岡県在住、昭和2年生れ)が、
横浜大空襲で疎開して以来、
66年ぶりに横浜を訪れ、当館にも立ち寄られました。

その折に往時のお話をいろいろ伺ったのですが、
その後、改めて戦中の思い出をつづった丁寧なお手紙をいただきました。

戦時中の横浜の雰囲気がよくわかるお話ですので、
鶴見さんのご許可を得て
ここにその一部を紹介したいと思います。

……………………………………………………………………………
 私の通勤手段は、主に京浜線(省線)東神奈川駅から桜木町駅下車。
 主に省線や六角橋行き市電を利用した。(中略)省線桜木町駅下車。
 駅前から市電で本町一丁目(県庁前)で下車。局へ。
 又は桜木町駅下車後、徒歩で弁天通りを通り横浜地方裁判所前を通り局へ。
 弁天通りを朝、通ると中間地点あたり
 で焼きたての美味そうなパンの匂いがした。
 ジャーマンベーカリだったでしょうか。

 夜勤明け、局を出た足で馬車道を通り、左手に松屋、吉田橋を渡り、
 右側の鈴屋?でよくあんみつを食べた。
 其の先には野沢屋、其の先には、真っ白い建物の寿百貨店等が。
 何を買うと云う目的も無いまゝ。何と無く・・・。伊勢ぶらだったと思います。

 又馬車道街路樹は柳で、夕暮れにはガス燈が灯り、独特な雰囲気が有つた様に思います。
 またホロ傘をさした、アイスクリーム屋さんや、人力車等も見かけた様に思います。

 でもそれから間も無く、戦争の気配が濃く成り、だんだんと身近に迫って居たのです。


〔続く〕

(吉)
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by tohatsu | 2011-12-09 15:48 | 調査余話 | Trackback | Comments(0)  

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