岩瀬忠震の日記

来年1月25日からはじまる特別展
「港をめぐる二都物語 江戸東京と横浜」
展示資料のなかには、チラシなどには載せていないものの、
けっこう貴重な資料が含まれています。

そのひとつが、幕末の外国奉行、岩瀬忠震(ただなり)の日記です。

岩瀬といえば、幕末の幕府官僚きっての切れ者。かつ美男子。
かつ、安政の大獄のために排斥されて若くして亡くなってしまう
という悲運のせいか、地味に人気のある人物です。

かれは積極的な横浜開港論者でしたが、
幕府とアメリカ総領事ハリスが
修好通商条約の交渉を江戸でしているときは
江戸におらず、長崎から江戸へもどる旅路にありました。

安政4年11月6日、静岡県の天竜川まで来ていた岩瀬は、
江戸の同僚からハリスと幕府の交渉の内容を聞き、
老中にあてて建言文をしたためます。

横浜開港を論じたこの建言書は
『横浜市史』ほかで何度もとりあげられており、
内容も知られていますが、
今回そのオリジナルの文書を探り当てることはできませんでした。

しかし、あるいは岩瀬の日記のなかに関連する記述がないかと
調べてみたところ、
11月6日の日記のなかに
「横浜開港」の草案ができたとの記載があったのです!

現在早稲田大学図書館の所蔵になっているこの日記、
実は意外に知られていない資料です。
幕末史に名を残した人物の日記・書簡については、
翻刻がなされている場合が多いのですが、岩瀬の日記は
翻刻が出ていません。
また、松岡英夫『岩瀬忠震』(中公新書)でも
岩瀬日記を使用していません。
研究論文でもあまり目にしたことがない資料です。

問題の11月6日の箇所は筆と鉛筆?が混在して書かれているようです。
ほかのページには旅の途中で目にした風物を描いたスケッチもあって
岩瀬に絵心があったことがわかります。
(設楽原歴史資料館が開催した特別展の図録「開国の星 岩瀬忠震」
をみると岩瀬の描いた多くの絵画をみることができます)

この岩瀬忠震の旅日記、
展示スタートから1ヶ月限定、
1月25日(土)~2月23日(日)まで展示します。
どうぞお楽しみに!

(吉)
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by tohatsu | 2013-12-20 19:20 | お知らせ | Trackback | Comments(0)  

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