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拡張する……


先日の都発係打ち合わせにて……

(吉) 健康診断いったら、体重が◇キロ増えてたんですよ。

(azul) 僕なんて去年から△キロも…

※注 ◇+△=10

(岡) え、そんなに! (吉)さんは見ていてわかってましたけど。

(吉) (岡)さんは……

(岡) 誰もが通る道です。問題はそれからどうするか、です。

 
 さすがこの道の先達。お言葉が重い……

 さて、WEB展および常設展示掘り出し物コーナー
 「昭和9年の横浜」
 では、昭和9年の横浜が通ってきた道のりを、
 『横浜グラフ』という写真アルバムから
 紹介しています。

 人口の増加した横浜には、関東大震災以降、
 多くの私鉄が市内に乗り入れをくわだてます。
 一方、横浜市は昭和2年に第3次市域拡張をおこない区制を実施、
 一気にその面積を膨張させます。
 
 昭和はじめの「大横浜」はどのような道を通り、
 どのような問題が生じ、
 そして、どのような対応をしていったのでしょうか。

 明後日1日(日)と15日(日)のリレー展示解説の第2・3回では、
 「都市の交通」という観点から、
 22 日(日)には「拡張する横浜」というテーマから
 この問題に迫ります(推測)。

 ちなみに拡張する(吉)には要精密検査という問題が生じています……

(吉)

 
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by tohatsu | 2009-10-30 19:44 | お知らせ | Trackback | Comments(0)  

座談会(その3)人との出会い

ブログ座談会「「横浜建築家列伝」をふりかえって」

その1 「横浜建築家列伝」のテーマ設定について⇒こちら
その2 この展示資料が面白い!⇒こちら


吉崎:展示をつくっていくなかで人との不思議な出会いがあったとか。

青木:西洋館の横に風車が建っている写真があるんです。
 今、港の見える丘公園のフランス山に新しく作った風車があって、
 そこの解説版にこの写真も載っている。
 切り立った斜面地の上に洋館と風車があって、
 地形的に山手だろうと今までは紹介されていたんですけど、
 鈴木さんは山手じゃないとご自身のホームページでその謎解きをされていたんです。
 鈴木さんのホームページを見た方が
 「私の知り合いに風車が建っていたころのことを覚えている人がいる。
 一緒に話を聞きに行きませんか」
 というのです。

e0164082_9322496.jpg

◆風車のある西洋館

鈴木:そうそう。

青木:その覚えているという人がなんと、
 大倉精神文化研究所の設計者・長野宇平治の娘婿の
 ヘンリー・フェルナンデスだったんです。
 じゃあ話を聞きに行こうかというときに、
 連絡されてきた方から長野宇平治の話を聞いて、
 「えーっ」ということになって。
 それで大倉精神文化研究所のほうにも連絡を取って
 「じゃあ今ちょうど僕らも共同で調査をやってるから、
 ぜひおたくにある資料を見せてください」という話になって。
 鈴木さんとは風車の話を聞きに行って、
 大倉の人とは長野の資料を見せてもらいに行って、
 ちょうど同時期にそんなことをやっていたんですよね。
 そのヘンリー・フェルナンデスさんは、
 展覧会が始まってすぐの5月に亡くなられて、
 残念ながらご案内をすることはできなかったんですけれどね。
 不思議な縁です。

鈴木:不思議な縁ですね。
 あの日話を聞きに行ったときに、
 青木さんは先に大倉山のほうへ話を聞いて帰って来られて、
 「鈴木さん、すごいものがあるよ」と言って興奮してました(笑)。071.gif071.gif
 僕は長野宇平治なんて全然分かんないから(笑)。
 僕のところに連絡をとってくれた人が、
 気になってる家があるんだと言って。
 息子が実はアメリカへ行ったので、なかなか帰ってこない。
 もうおじいさんが88で、一人で住んでて気が気じゃないと言って。
 それでそのおじいさんが風車の話をみんなにしてくれるって言うから、
 話を聞きに行ったんですよね。

青木:一緒にそのフェルナンデス家に行って、
 だけどもうお年寄りだから鈴木さんのホームページで示されてるのと
 全然場所が違うところを
 「ここだ、ここだ」
 と言うんだけど。
 「違うんじゃないですか」025.gif
 と言っても、
 頑なに
 「いや、ここだ、ここに建ってたんだ」って(笑)。

鈴木:面白い人でしたね。

青木:それでフェルナンデス家とつながりができて。
 長野家のご親族も結構展覧会を見にきてくださったみたいだし。
 そのあと「僕のいとこがこんな写真を持ってる」とか、
 また資料が出始めてきた。
 その辺は追って紹介をしていく機会はできると思うんで。

吉崎:そうやって人のつながりがまた次の展覧会を生むというのは、いい循環ですよね。019.gif

青木:やっぱり、この間ブログにも書いたけど、展覧会を一本やると、
 いろんな人とつながりができますよね。006.gif

海老名:ほんとに。

青木:それでまた新しい資料がでてきて、
 次の展覧会につながったりだとか、
 いろんな形でやっぱり出会いができるというのは面白いところですよね。

海老名:それがあるからやってける、みたいな(笑)この人のために頑張らなきゃみたいな。024.gif

青木:でも1回ぐらい大きいトラブルにも出あうんですけどね。

鈴木:今回はあったんですか。

青木:いや今回は出あわなかったですね、そういう意味ではね。

吉崎:他の意味では出会いがあったんですか。

青木:どういう意味?

吉崎:いやいや。

一同:(笑)
037.gif

(まだまだつづく)
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by tohatsu | 2009-10-30 09:40 | その他 | Trackback | Comments(0)  

座談会(その2)この展示資料が面白い!

ブログ座談会「「横浜建築家列伝」をふりかえって」
 
(その1)「横浜建築家列伝」のテーマ設定について はこちら

■幕末の2枚の古写真

吉崎:次に個々の資料の話に移っていきたいと思います。

青木:まず、このフランス海軍病院の写真は、
 おそらく日本でうちの館しか持っていない1枚だと思います。019.gif
 クリスチャン・ポラックさんやオランダにも所蔵されている写真ですが、
 それらとは別アングルのオリジナルプリントということで今回紹介しました。
 横浜が開港したときにいきなり洋風の街並みができあがったわけじゃなくて、
 こうした奇妙奇天烈なものも最初はあり、
 徐々に建築家の活動する場所ができていったということを
 説明するイントロダクションとしては
 非常に貴重かつ良い資料だなと思いまして。
 それとイギリス海軍病院の写真
 これもおそらくここにしかない貴重な写真なんです。
 この資料は「建築家列伝」という流れに乗せて
 説明するのが難しいものだったので、
 僕も展示解説でこの写真の説明をほとんどしてなかったんですよ。030.gif


e0164082_17383066.jpg

◆フランス海軍病院


鈴木:イギリス海軍病院の正門のところは
 有名な絵葉書があるんですけれど。
 これは俯瞰したものでしょう。
 これはアメリカ海軍病院からでしょうけれど。

青木:おそらく、その上から撮ってるんでしょう。

鈴木:これは克明に分かるから、ほんとにびっくりしましたね。
 こんな写真があったのかと思って。
 だから、これはもっと大々的にやってもいいんじゃないかと思ったけれども、
 割と控えめで。
 こちらのフランス海軍病院の写真が、
 正面にボーンと置かれていて、
 「ああ、これは相当力が入っているんだな」
 と思いましたけれど。
 僕としてはこちらのほうに
 もっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、
 と思ったんですけどね。
 これはおそらく他に、どこにもない写真だろうと思うんです。

青木:ないでしょうね。
 ブリジェンスともウィットフィールドとも、
 どこともつながらずに、さりげなくこの会場の片隅にという。

吉崎:貴重な資料であっても、
 なかなか展示ストーリーに組み込むというのは難しいですよね。

青木:そうなんです。この2枚の写真は何年も前に入手していて、
 どのタイミングで公開するかということをはかっていたんです。
 今回が一番いいタイミングだろうということで出したんですけど、
 このあとも資料的価値を紹介するようなことをやらないといけませんね。
 デラランデについては、そう新しい資料がないかと思っていたら、
 今回ポスターに急遽使うことになったこの写真を、
 デラランデ事務所にお父様が勤めていたという関係で
 臼井さんという方が大切にお持ちだったんです。
 この方はうちのメールニュースで
 今回の展覧会を知って
 「家にまた写真があったよ」
 とご連絡いただいたのですが、
 その写真がとんでもなく貴重なものだったのです。
 デラランデさんの写真は、
 晩年の恰幅の良い姿しか知られていなかったので、
 横浜の事務所にいた二十代のころのこの写真は大発見だったんです。003.gif

■横浜ならではの建築家の資料

吉崎:海老名さんは、どのような資料に注目されましたか?

海老名:そうですね。横浜市建築課の資料が出ていましたよね。

青木:ええ。

海老名:ああいった資料はここでないと日を当てられないですよね。
 フランス海軍病院の写真はどこに出しても重要で貴重なものだと思うんですが、
 横浜で活躍した建築家たちの資料というのは、
 この場でそしてこういう企画展でないと取り上げられない
 非常に貴重なものだと思います。


e0164082_17392062.jpg

◆木村龍雄愛用カメラ

青木:そうですね。
 例えばモーガンだとか村野藤吾だとかというのは、
 もう全国的に知名度があって、
 でも東京の人はきっと木村龍雄って知らないですよね。

海老名:そうですよね。木村龍雄。

青木:外にPRする機会が少ない人なんだけれども、
 横浜の市役所に勤めていて横浜の震災復興に尽力した人という意味で、
 横浜の近代建築史に欠かせない登場人物の一人。
 そういうところを展示としてきちんと紹介していくという意味で、
 このコーナーはおっしゃる通りうちでしかできない内容だったと思います。

吉崎:そうやって地元の人に光を当てるというのは
 地域資料館の務めだと思うのですが、
 その辺りは展示構想の中で意識していたのですか。

青木:うん。もともと建築家を扱うとはいっても
 横浜での活動ということに限定をしているので、
 東京での作品は最初から除外しているんです。
 だから横浜以外の建築のことも知りたいとアンケートでも指摘されましたけど。

(つづく)
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by tohatsu | 2009-10-28 17:30 | その他 | Trackback | Comments(0)  

WEB展覧会とリレー展示解説、始まります!

はい、こんにちは。azul です。

新企画「ブログ座談会」の連載がスタートしました。
その1だけでも結構長かったですが、これはほんのさわり程度。
まだまだまだまだ続きますので、どうぞお楽しみに。

さて、明日土曜日(10/24)から、また新しい企画が始まります!

少し前に、(吉)さんからアナウンスがありましたが、
「昭和9年の横浜
 ~『横浜グラフ』に見る75年前の世相~」
と題して、
当館が所蔵する写真アルバム『横浜グラフ』を、
開港150周年記念WEB展覧会として、HP上で公開します。

昭和9年の日々のニュースを写真でつづった『横浜グラフ』。
写真を一枚一枚たどることで、当時の横浜の世相が浮かび上がってきます。
今回は第1段として、300点を超える写真のなかから125点をアップ!
写真に付けられた説明文もおこしてありますので、
当時の雰囲気をじっくりと味わっていただけます。

そして、もうひとつ!

WEB展覧会にあわせて、常設展示室でも『横浜グラフ』の原本を展示いたします。
そして、この『横浜グラフ』の資料解説をかねて、
私たち調査研究員が常設展示のリレー解説をおこないます。

◆展示解説の内容とスケジュール
 10月25日(日)14時~「モダン都市横浜(その1)」
 11月1日・15(日) 14時~「都市の交通」
 11月22日(日)14時~「拡張する横浜」
 12月6日(日) 14時~「モダン都市横浜(その2)」

 *所要時間30分程度。
 *事前申し込み不要。直接4階常設展示室入口にお越しください。
 *入館料(200円)のみでご参加いただけます。
 *1回だけでも、何度参加されてもけっこうです。

このテーマを見て、誰が解説を担当するかわかる方。
貴方はすでにトハツ通です!
是非、お友達を連れて、常設展示室までお越しください。
1回目はあさって(10/25)です!
担当者は(y ・・・おっと、うっかり書くところでした。

・・・え? HPに名前出てるの・・・?


(azul)
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by tohatsu | 2009-10-23 10:54 | お知らせ | Trackback | Comments(0)  

ブログ座談会「「横浜建築家列伝」をふりかえって」

(その1)「横浜建築家列伝」のテーマ設定について

 八月末に終了した企画展「横浜建築家列伝」。
 果たしてこの展覧会は、どのような思いで製作され、
 来館者はどのように観たのでしょうか。

 そこで、展示担当スタッフのほか、
 当館の熱心なリピーターの方と
 建築を専門とする学芸員の方をお招きして
 「ブログ座談会」をおこない、今回の企画展について
 語り明かしました。
 
042.gif (長文です)

 出席者
  鈴木 広様(当館リピーター・港南区在住)
  海老名 熱実様(日本郵船歴史博物館学芸員)
  青木 祐介(当館主任調査研究員・展示担当)
  神谷 量子(当館職員・学校連携/広報担当)
  司会:吉崎 雅規(当館調査研究員)



e0164082_21294660.jpg


■出席者紹介

青木:当館ではブログ「ハマ発ブログ」に職員が様々な情報を
  タイムリーにアップするということを、
  今年の1月からやってまいりました。
 今回はこのブログの新しいネタとして、
  館外の方から意見をいただきながら座談会形式で
  企画展「建築家列伝」を振り返ってみようということで、
  今日は私の独断と偏見で(笑)お二人のゲストに来ていただきました。
  お一人目が日本郵船歴史博物館の学芸員の海老名熱実さん。
  2007年に同館で開催された「洋上のインテリア」という展覧会で
  近代建築を大きく取り上げられました。
  海岸教会を設計した雪野元吉さんの資料を拝見するため、
  郵船に行ったのがお知り合いになるきっかけでした。
  今回は近代建築をテーマにした展覧会ということで、
  同じ学芸員として、
  それから建築史学という専門的な視点からご意見をいただきたいということで、
  ご出席いただきました。

  もうひとかたは鈴木広さん。
  実は鈴木さんとお会いする前に、
  鈴木さんがお作りになっているホームページ
  は見ていたんです。
  そこで山手や根岸の石積みの擁壁やレンガ壁だとか、
  昔の様子が残る部分を克明に写真に撮って紹介しておられる。
  それで僕が近代遺跡の調査をやっているということで、
  関係ができていったんですよね。

 鈴木:はい。そうですね。

 青木:リピーターというと謙遜されるかもしれませんけど、
  よくうちの展示を見ていただいてもいるので、
  ざっくばらんな意見を伺えればということで今日は来ていただきました。
  よろしくお願いいたします。
040.gif040.gif

 鈴木:はい。

 青木:そして我々のスタッフの紹介をさせていただきます。

  調査研究員の吉崎です。
  うちの名物研究員だった斎藤多喜夫が定年退職したのを受けて、
  昨年から我々の仲間に加わりました。
  当館の展示の柱になっている生活文化史を担当しておりますけれども、
  今回のブログ座談会をはじめネットでの広報も今、吉崎が中心にやっております。
  後ほど司会進行係のほうを譲りたいと思います。

  それから当館の神谷です。横浜市歴史博物館に勤務し、
  学校対応―子どもたちと博物館とをつなぐ仕事をしておりまして、
  2年前に都市発展記念館に異動してきました。
  こちらは職員が少ないものですから、
  学校連携だけではなく広報の仕事も含めもろもろ引き受けて
  毎日走り回っているところです。
  今日はこういうメンバーであまり硬くならずに、
  お茶でもしながらいろいろ話ができればと思っていますので
  よろしくお願いいたします。

 一同:はい。058.gif



■展覧会のテーマ設定

 吉崎:最初にこの「ブログ座談会」の意図について少しお話しします。
  博物館の展覧会は、開催してしまったあとは
  やりっ放しになっていることが多いと思うんですが、
  それをふりかえる作業は重要なんじゃないか…
  ということを前から感じていました。
  展示の回顧自体は博物館の紀要に報告したり、展評を書いてもらったり、
  というかたちでやっている館もあるんですが、
  館外の方からご意見をざっくばらんにいただくなら座談会の形式がいいし、
  当館はブログがあるので、
  座談会の内容を多くの方に見ていただくことができる。
  そこで「ブログ座談会」という形で
  展覧会を振りかえってみようと考えたのです。
 
  さて、まず今回の企画展のテーマ設定について、
  担当の青木のほうからざっと話をして、
  それについてコメントをいただくという形で始めたいと思います。061.gif

 青木:平成18年から5年間の展示計画を立てた段階で、
  今回が開港150周年の記念の展示になることから、
  一つ大きなものを持ってこようというのは決めていたんです。
  ただそのときは、開港という言葉につられて、
 「海に拡がる横浜」というものを想定していたんですけど。
  ところが横浜マリタイムミュージアムが臨海工業地帯の展覧会をやっていて、
  そんなに新機軸を打ち出せそうにない。

  それなら、ここの館の特色が強く出るようなテーマにしたらどうかということで、
  近代建築というのを一つの柱にしようかと。
  ただ近代建築だと焦点が絞り切れないので、建築家の存在を前面に出して、
  何人かの人物群像で横浜の近代建築の歴史を語れないかなということで、
  今回のテーマ設定になったのです。049.gif

 鈴木:列伝でしょ。これはざっと流して見られるのかなと思って、
  少し勉強のつもりで見てもいいかなと思っていたんです。
  フェルナンデスさん(注:今回の展示の資料提供者)
  もつながりがあったもんですから、
  そういうところも非常に興味をもって私は見に来たんです。
  ただ、見て一番私自身が興味を持ったのは、残念ながら建築家じゃなくて(笑)

 青木:ああ、イギリス海軍病院。

e0164082_22234999.jpg

 ◆イギリス海軍病院(当館蔵)


 鈴木:これはもうびっくりしましたね、これを見たとき。
  私の興味はそういうところにあるもんですから、
  もうこれを見ただけで、僕は満足して帰りましたけど。068.gif

 青木:きっとそうおっしゃられるだろうなと、僕も(笑)

 鈴木:申し訳ないことに、全く私は建築のことを知らなかったんですけど、
  展示を拝見してから、青木さんから教えていただいた藤森さんの本ですか、
  岩波から出ている2冊の建築史をざっと読みました。
  残念ながら最後まで読みきれなかったですけど。
  そういう意味で非常に刺激を受けたことは確かですね。

 吉崎:海老名さんは、同じ分野の専門家としてこのテーマ設定をどう感じましたか。

 海老名:タイトルが「建築家列伝」。
  それも建築じゃなくて、建築家というところから
  くくって見るというのは面白いなと思いました。
  たいてい建築の展覧会は作品を扱いますよね。
  なのに人物だという。
  そこもあったか味があるし、親近感っていうか面白いと思いました。072.gif
  実際展示を見に行ったときも、
  期待を裏切らずに模型とか図面の中に遠藤於菟の篆刻があったりして。

 青木:ああ。

 海老名:モーガンが浴衣を着ている写真も新鮮で面白いなと思いました。

e0164082_2222366.jpg

 ◆浴衣を着たモーガン(当館蔵)

 吉崎:建築じゃなくて、あえて建築家とした意図は何だったのでしょうか。

 青木:今海老名さんが言われたのもそうなんですけど、
  僕が建築の写真を紹介していると、
  「人がいない」  というのが一番言われることなんです。
  極めて無機質な、建物だけを扱っていると見られるきらいがあって。
  そこに人の顔が見えてこないと歴史として面白くならないということは今までも感じていて。
  今回も建築家、あるいはそこの事務所の雰囲気を伝える意味で、
  このデラランデ事務所の写真を大きくポスターに使わせてもらいました。
  人の活動を通して横浜の街がどう作られていったか、
  まあそこまで大きなストーリーではなかったですけれど、作る側の視点ですかね。
  そういう姿を資料を通して紹介できないかなと。
  もちろん人のいない建築も好きなんですけど(笑)037.gif

 海老名:人物をあったかく扱っているというのが、今回特に面白いと思いました。023.gif
  木村龍雄が事務所を開いた記念の手拭いとか。
  ふつうはある建築家の作品を俯瞰しようというふうになりがちだけど、
  今回の企画展は全体というよりは1個ずつ見て楽しい展示という印象は受けました。

 青木:全体が統一的にならないのはもう分かっていたんですよ。
  「建築家列伝」という大きなタイトルにはなったけれど、
  当然建築家って山ほどいるわけで、
  その中からわずかな人物だけをピックアップして、
  明治から戦後ぐらいまでをどうやって伝えるのか。
  確かにそういう意味では個々のコーナーがそれぞれで完結して、
  充分に流れを伝えきれないというのはあったんでしょうね。

 海老名:統一感がないとは思わないんですよ(笑)

 青木:いや、そういうご意見でおられるのはいいんですけど(笑)。041.gif
  「戦後のモダニズム」という言葉を僕は使ったんですけど、
  モダニズムは当然昭和戦前期から一部の建築家たちがやっていることで、
  そこが展示では全くなくていきなり戦後のモダニズムが出てきた点、
  アンケートでも疑問を呈された方はいました。
  トータルの流れを伝えるというのはこのボリュームではなかなか難しい。
  個々のコーナーの中で話をきちんと伝えられれば、僕としてはよかったのかなと。
  ちょっと矛盾しているけれど……025.gif

(つづく)
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by tohatsu | 2009-10-16 21:38 | その他 | Trackback | Comments(0)  

休日の遺跡めぐり

はい、こんにちは。

夏休みとか言いながら、結局、愛しの煉瓦を追い求めて、
あちこちほっつき歩いていた azul です。

最初にお邪魔したのは・・・

e0164082_10273074.jpg

はい、横浜市三殿台考古館です。
何を隠そう、わが財団が管理している国の指定史跡であります。

私がお邪魔したときは、ちょうど草刈りの作業中でした。
そうです、こちらでは遺跡の草刈りは全部職員がやっているのです!
その日は横浜市歴史博物館から「草刈り応援隊」がやってきていました。

おや、この赤シャツの男は・・・

e0164082_10263390.jpg

8月から歴史博物館に移った(可)さんではありませんか。
全国の(可)ファンの皆さま、ご安心ください。
彼は元気に?草刈りに励んでおります。

応援隊を率いるN隊長にお話をうかがいました。
「隊長、お写真を一枚」
「いやーん、お嫁にいけなくなっちゃうー」
・・・ありがとうございました。
考古館スタッフはじめ草刈り隊の皆さま、本当にご苦労さまです。

さて、なにも草刈り取材のために、夏休みを取ったのではありません。
三殿台を失礼して向かった先は、かながわ考古学財団の野庭整理室。
こちらでは2007-08年におこなわれた「山下居留地遺跡」の発掘調査で出土した、
大量の遺物の整理が続けられています。

横浜では居留地時代の土木遺構などの保存事例が多いにも関わらず、
近代を対象とした発掘調査がおこなわれたことは、ほとんどありませんでした。
なぜなら、横浜市では「埋蔵文化財」として調査が必要とされているのは、
おおむね中世まで
だからです。
(拙稿「近代都市の考古学」福田敏一編『考古学という可能性』)

居留地時代の外国商館の遺構がいくつも発見されたことで、
大きな注目を浴びた「山下居留地遺跡」の発掘調査は、
その意味で、横浜にとっては大きな第一歩。
都市横浜を理解するうえで重要な情報を提供してくれるはずです。

発掘を担当された天野賢一さんは、報告書作成のため大忙し。
そんなときにお邪魔してあれやこれやとすみませんでした。
とか言いながら、こちらにお邪魔したときには、
膨大な出土遺物を前に、いつも議論が尽きずに長居してしまいます。

年明けに予定している次の展覧会では、
これまでトハツが調査してきたジェラール瓦や煉瓦の話がメインになりますが、
この山下居留地遺跡についてもぜひ紹介したいと思っています。

天野さん、あと一息がんばってください!

e0164082_10341137.jpg













おお!列伝のポスターが!!
あざーっす!


(azul)
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by tohatsu | 2009-10-15 10:42 | お出かけ | Trackback | Comments(0)  

展示余話・鉄道雑学(5)神戸ステーション物語(その2)

 子どもの頃、親に連れられて神戸の親戚の家へ行くことがありました(この家は後に阪神淡路大震災で半壊してしまいます)。すでに鉄道に人一倍の関心を寄せていた筆者は、三ノ宮駅での乗り換えの段取りを話し合っていた大人たちに、「神戸駅に行きたい」と言ってみました。すると、「アホか。神戸駅みたい何にもあらへんわ」と一笑に付された記憶があります。
 どうして神戸は神戸駅ではなく三ノ宮駅なのか。いったいいつからそうなったのか。関西出身の筆者はずっと疑問に思っていました。「神戸ステーション物語」の第2回では、この二つの駅の歴史を探ってみることにしましょう。
 神戸に鉄道が開通したのは、横浜に遅れること2年の明治7(1874)年です。大阪と神戸が陸蒸気によって70分で結ばれました。神戸駅が置かれた場所は今とほぼ同じです。そこは中世以来の港町・兵庫と、新しく誕生したばかりの開港場・神戸の中間地帯でした。遊郭などを立ち退かせて停車場の広い敷地を確保しました。
 兵庫と神戸の関係は、神奈川と横浜の関係に似ています。幕末の修好通商条約によって兵庫の開港が決まりますが、実際に港がつくられ外国人の居留地が設けられたのは兵庫の東側の神戸村でした。ここから都市神戸の歴史が始まります。
 さて、大阪から伸びてきた鉄道の線路は、神戸の外国人居留地を通り越して先述の神戸駅に達するのですが、神戸駅の手前、居留地のそばにも小さな駅がつくられました。それが三ノ宮駅です。正確にはこれは現在の元町駅の位置にあたります。駅名はすぐ近くの三ノ宮神社に由来します。
 神戸駅と三ノ宮駅はわずか1.6キロしか離れていませんでした。当時としては異例の近さです。居留地の外国人に配慮したためなのかはわかりませんが、こうして神戸という一つの都市に、神戸駅と三ノ宮駅の二つの駅が生まれたことになります。神戸駅は「大ステーション」、三ノ宮駅は「小ステーション」と呼んで区別されました。
 明治から大正の時代、「大ステーション」の神戸駅が名実ともに都市神戸の中心に位置していたと言えます。市役所や裁判所、中央郵便局などの主要な官公庁が神戸駅の周辺にありましたし、神戸でもっとも賑やかな盛り場だった新開地は神戸駅から歩くことができました。
  「小ステーション」の三ノ宮駅も明治時代から東海道線の特急・急行列車が停車していましたので、主要な駅だったことに違いありません。外国人居留地の最寄り駅であり、中心商店街の元町通りや金融街の栄町通りは神戸駅と三ノ宮駅の間に伸びていました。
 それでも、三ノ宮駅の乗降客数は神戸駅の半分程度でした。三ノ宮駅が成長するのは大正時代です。大正9(1920)年に三ノ宮駅の乗降客数が初めて神戸駅を上回り、以後ますます増えていきました。その要因はさらに調べる必要がありますが、神戸港に新港突堤が完成するなどして、港が東へ拡張していったことが考えられます。
 昭和に入ると、三ノ宮駅の地位は圧倒的に高くなります。
 神戸市内では東海道線の高架化が進められましたが、三ノ宮駅はこれを機会に神戸市の都市計画と連動して、昭和5(1930)年、約1キロ東へ、つまり現在の場所へ移動しました。駅舎は神戸駅よりも大規模なものになります。
 そしてこの年、東京・神戸間に当時の鉄道技術の粋を集めた超特急「燕(つばめ)」号が登場しました。所要時間は9時間。途中の停車駅は、機関車連結のため停まる駅を除いて、六大都市の代表駅だけに絞られました。横浜・名古屋・京都・大阪駅の順です。しかし、神戸市内では、終点の神戸駅の直前で三ノ宮駅にも連続して停車しました。三ノ宮駅を通過することはできなかったのです。
 また、昭和10(1935)年頃に満鉄の企画で製作された「鮮満周遊の旅・内地編」という映画があります。日本から満州(中国東北部)への旅行を紹介した観光PR映画で、二人の女性主人公は東京駅から特急「富士」号(下関行)に乗り込みます。車中で一泊して翌日下車。神戸港から大連へ向かう日満連絡船「熱河丸」に乗船するというストーリーです。この二人が船に乗り換えるため列車を降りたのが三ノ宮駅でした。
 三ノ宮駅は都市神戸の玄関駅として、とても重要な役割を果たすようになっていました。                     (つづく)(岡田直)
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by tohatsu | 2009-10-12 10:38 | 展示案内 | Trackback | Comments(0)  

WEB展覧会「昭和9年の横浜」、開催します

気がつけば10月・・・
なかなかネタがなくご無沙汰しておりましたが、
ようやく(吉)も復活させていただきます。

さて、皆さんがいまご覧になっている
ハマ発ブログのタイトル部分には
3つの写真があしらわれていますが、
この写真、すべて
「横浜グラフ」

という当館所蔵のアルバムから採ったものなのです。

この「横浜グラフ」、
国際写真通信社なる太田町にあった会社が
会員に時事写真と解説シートを送付し、
会員が自らそれをアルバム台紙に貼付するという
ちょっと変わった「アルバム」。
写真と解説は昭和9年(1934)3月から12月まで、
ほぼ毎日のものがそろっています。

e0164082_1513938.jpg


昭和9年は今から75年前。
つまり、開港から150年を経た横浜の歴史
のちょうどど真ん中に当たります。
そこで、開港150年記念として(少し遅いという気もしますが)
この『横浜グラフ』の写真と解説を原文のまま紹介する
WEB展覧会を10月24日(土)より当館ホームページ上で開催します。
タイトルは

昭和9年の横浜 ~『横浜グラフ』に見る75年前の世相~

同時に当館常設展示室内も「掘り出し物コーナー」でも
オリジナル『横浜グラフ』と関連資料を展示します(10月24日より)。
展示解説もおこないますので
どうぞお楽しみに!


(吉)
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by tohatsu | 2009-10-11 15:21 | お知らせ | Trackback | Comments(0)  

風見鶏の館とデラランデ

はい、こんにちは。

どうやら台風は過ぎ去ったようですが、
朝の通勤時に思いっきり暴風雨に巻き込まれてしまい、
買ったばかりの安傘をまたもダメにしてしまいました・・・

アンニュイな雨の昼下がりには、ついハマ発ブログをチェックしてしまう、
そんな西洋館好きの貴女のために、今日もハッスルしてしまう azul です。


企画展「横浜建築家列伝」で紹介した建築家の一人に、
ドイツ人のデラランデ(George de Lalande)がいたのを覚えていますか?

彼が山手に設計した煉瓦造の素敵な西洋館(ポール邸)については、
以前にもこのブログで紹介しましたが、
なんといっても、デラランデの名前を有名にしているのは、
神戸に現存する「風見鶏の館」(旧トーマス邸)。
国指定の重要文化財です。

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その建築年代がこれまでずっと間違って伝えられてきた、
と指摘する刺激的な本が刊行されました。

『風見鶏 謎解きの旅』と題されたこの本、
著者の広瀬毅彦氏からお電話をいただいたのは、昨年のことでした。
ポール邸に関する拙稿(『ハマ発Newsletter』8号)をご覧になって、
わざわざお電話をくださったのですが、
そのときうかがった話というのが驚きでした。

「風見鶏の館」の竣工年代は、これまで1909年とされてきましたが、
それが実は1905年だったというもの。
当時の居住者であるトーマス氏のご遺族は、
以前から年代が違っていると神戸市に言い続けていたそうですが、
(当時の外国人住所録にも1905年からトーマス氏の名前が出てきます)
ドイツ語が堪能な著者の広瀬氏は、
ドイツ在住のご遺族のところを何度も訪ねられ、
ついに「1905年竣工」と書かれたトーマス邸の写真を発見されたのです。

しかも、ご遺族のところにはトーマス邸の図面も残されていました。
着色された図面には、デラランデの筆跡で、
"Yokohama im Juni 1904"(1904年6月横浜にて)
との書き込みがありました。

この話、地元の神戸ではテレビでも特集されたりして、
ずいぶん話題になったようですが、
このたび広瀬氏が著書としてまとめられたことで、
建設年代の問題は完全に決着がついたと言えるでしょう。

トーマス邸が設計された1904年というのは、
来日間もないデラランデが横浜で独立して事務所を構えた年。
そうです、図面の書き込みのとおり、
「風見鶏の館」は横浜で生まれていたのです。
神戸の西洋館として遠く眺めていた風見鶏が、
ちょっと身近な存在に思えてきました。

広瀬氏の探索はそれだけにとどまりません。
デラランデの生まれ故郷(現在はポーランド)まで調査の手をひろげ、
なんと彼が日本に来る前の設計作品まで発見されているのです。

興奮して、広瀬氏にさっそく感想をメールしたところ、
すぐにポーランドからお返事をくださいました。
ポーランド時代のデラランデの話はまだまだあるとのこと。
おおいに期待して続報を待ちたいと思います。


さて、私は明日から遅い夏休みをいただきます。
・・・が、職場にいなくとも、煉瓦あるところに azul あり。
来週には新ネタをひっさげて戻って参ります。


(azul)
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by tohatsu | 2009-10-08 18:26 | 調査余話 | Trackback | Comments(0)  

収録

はい、こんにちは。 azul です。

またまた雨模様のお天気が続くようですね。
日曜日、晴れ間をぬってテレビの収録がありました。

当館もよく取材してもらっているケーブルテレビのひとつ、
YOUテレビのオリジナル番組に「横浜ミストリー」というのがあります。
毎月、横浜のさまざまな歴史の謎に光をあてる、なかなか面白い番組です。

来月は、鶴見区に現存する戦前のある邸宅が登場するのですが、
その設計者が、あの建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)の事務所にいたということで、
コンドルとは何者なのか、レポーターが私に話を聞きに来るという設定で、
収録がおこなわれました。
なぜお前がコンドルの説明を・・・とかは聞かないでください。

辰野金吾や片山東熊らの日本人建築家を育てた恩人として知られるコンドルは、
明治30年代に、ここ横浜でも事務所を構えています。
山手のクライストチャーチ(関東大震災で倒壊)は、
その時期に設計した建物のひとつで、
いかにもコンドルらしいヴィクトリアン・ゴシックの教会でした。

コンドルが事務所を構えていたのは、本町通り沿いの山下町60番地。
(最初は28番地ですがすぐに60番地に移ります)
今は大きなマンションが建っていますが、
その脇でレポーターさんとのやり取りを収録しました。
本町通りの向かいはもう中華街。
行き交う観光客に、ひょっとして芸能人?
という目を向けられながら、無事終了。

さてどういう仕上がりになるのでしょうか。
放送が楽しみです。
って、いつ放送するんでしたっけ・・・

YOUテレビさん、今度はウチにも取材に来てくださいね。m(_ _)m

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(azul)
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by tohatsu | 2009-10-05 12:15 | お出かけ | Trackback | Comments(0)