人気ブログランキング | 話題のタグを見る

郷土愛の測定方法


目の前から放たれる狙いすました高速スライダーを
よくパスボールしている(吉)です。

相川・鶴岡と「ハマの女房」(?)が2人も移籍してしまい、
今年の横浜ベイスターズ、「女房」(捕手)が誰になるのか
興味津々の毎日を送っています。

さて、東京―埼玉―神奈川と関東を移り住んできたのですが、
都市名を冠するのが好きand町に愛称がある、というのは
横浜ならではと思います。
これは「郷土愛」が強い証でしょう。

この「郷土愛」は街(市)で一番大きい本屋の
郷土史コーナーの棚の充実ぶりでも
ある程度はかることができます。
横浜だったら有隣堂(伊勢佐木町・横浜駅)・紀伊國屋書店(横浜そごう)
あたりでしょうか。
本になるということは、買い手がいてある程度ペイする、ということでも
あるのですが、横浜はほかのどの街にもまして郷土史関連の本が
多いのです。
旅先でもよく郷土史コーナーに立ち寄るのですが、
人口が多いことを差し引いても、横浜の郷土史コーナーは
他を圧倒しています。

そんな横浜の書店の郷土史コーナーの一角に、実は当館の本も並んでいます。
ゆくゆくは有隣堂の入口に平積みになるような本を作ろうと、
まずは両先発のボールを確実にキャッチする技術を身につけようと
している(吉)でした。

(吉)

# by tohatsu | 2009-03-13 16:35 | その他  

ごめんやしておくれやしてごめんやっしー!

はい、こんにちは。
知る人ぞ知る、ナニワ生まれナニワ育ちの azul です。
外見からは絶対にわかりませんが、ナニワ生まれナニワ育ちです(笑)。
狙いすましたツッコミがすべると、激しくヘコみます・・・

たしかに、ハマの何とかって多いですよね。
ハマから発信する「ハマ発」とか・・・うっ
ハマ発Newsletterとか、ハマ発ブログとか、
そろそろ食傷気味の人もいるとかいないとか。

私はいわゆる「ハマっ子」ではありませんが、
生まれ育った街を出て、外から自分の故郷を眺めるようになると、
それはそれで今まで見えなかったものが見えてくるものです。
きっと留学して海外で生活を送られた方などは、
日本という国に対して同じような思いを抱いたのではないでしょうか。

今度の企画展「横浜建築家列伝」では、
ある外国籍の「ハマっ子」ミュージシャンと出会いました。
今、彼はじつに面白いプロジェクトを進めています。
私たちも彼のプロジェクトを企画展の特別関連イベントと位置づけて、
全面的にバックアップしています。

そろそろプロジェクトの全貌が明らかになってきます。
詳細はまたこのブログで!

今日はこのへんにしといたろ。

(azul)

# by tohatsu | 2009-03-10 21:03 | その他  

ハマの…

(可)です。

「浜の銀座」は侮辱ともとれる、ですか…ナルホド。
しかし、確かにハマっ子は今でも「ハマの○○」って言い方、好きですね。

松原商店街を「ハマのアメ横」とか。

ベイスターズの選手を「ハマの番長」とか「ハマの大魔神」とか…敢えて「ハマの」をつけるんですね。
ホームランバッターだけど大振りで三振の多い選手を「ハマの大型扇風機」なんて言ったりもします。
その称号(?)を持っていた人は何人かいたようですが、元祖は現在湘南シーレックス監督の田代選手でしょうか。

余談ですが、ワタクシの出身高校は昔「ハマの学習院」と呼ばれたとかいう話も聞いたことがあります。
ただ、こう呼ばれたとされる学校は他にもあって…旧制中学時代は男子校で、庶民が通う学校で、校風はきわめてリベラルというわが母校と「学習院」はどうにも結びつかないので、本当かどうか…?少なくとも自称はしなかっただろうと思います。

こうやって都市名を冠するのが好きな気質を持ったまちは他に…「ナニワの○○」とかでしょうか?
関西方面で育った、もしくは他都市で育った職員の皆さま、実感としてどうですか?

ショップネタの前フリにしようと思ったけれど、長くなったので今日は他人にネタを振るだけで終わりにします。
あとはよろしく!(←無責任)

(可)

# by tohatsu | 2009-03-10 18:26 | その他  

浜の銀座、伊勢佐木町


ブログ書くのはひさしぶり、の(吉)です。
月曜に出てきてブログを書くな、と言われそうですが、
目の前でシャドーボクシングをしているアルが催促するので……。
忙しいのはわかってるでしょ、アル。

毎日のようにどっさりと本を注文しているのは、実は
3月末発行予定の紀要の資料としてで、
来年度以降の調査テーマ(企画展も予定しています)
をにらんだものなのです。

来年度以降、わたしは横浜のモダニズムを
しばらく調べていくことになっています。
1920年代から30年代に日本、そして世界の大都市で花開いた
都市文化の新しい潮流―モダニズム。
それは、横浜にも出現していたのです。

伊勢佐木町は「浜の銀座」と呼ばれ、そこには映画館があり、ジャズが響き、
モガ・モボが闊歩し、ネオンサインが輝いていました。
しかし、独立独歩の気概高い昭和初期のハマッ子はこの「銀座」にかみつきます。

 浜の銀座……伊勢佐木町を呼んでさういふ人があるが、
 之れは大なる間違ひであると同時に、
 第一浜つ子を侮辱した言葉であるとも云へないことは無い。

そして、

 東京の銀座や、大阪の道頓堀、心斎橋筋、京都の新京極、
 それ等の繁華の街にも見出すことの出来ない
 エキゾチツクな雰囲気を持つ点に於て、
 伊勢佐木町はむしろ神戸の元町通りに似通つたところがあり、
 しかも神戸の元町通りを数倍した賑かさを持つ点に於て
 伊勢佐木町こそは我等の横浜の持つ大きな誇りである

と言っています。エキゾチックな雰囲気(異国情緒)こそが
モダン都市横浜にあっても、ハマッ子の誇りでした。

その横浜のモダニズムに関するいろいろな情報を、これから
紀要に執筆ブログで報告していきます。

(吉)

# by tohatsu | 2009-03-09 16:57 | 調査余話  

デラランデ

はい、こんにちは。
各方面から追われ続けて逃亡生活中の azul です。
私だってヒマなわけじゃないんですよ、アル。

さて今日は、企画展「横浜建築家列伝」で紹介する予定の資料から、
私のお気に入りの一点をご紹介しましょう。

デラランデ_e0164082_9163189.jpg

この写真は山手の125番地に建っていたポール邸です。
設計者はドイツ人建築家のデラランデ(George de Lalande)
神戸の「風見鶏の館」を設計した人といえば、ピンとくるでしょうか。
今ではこの呼び方が定着していますが、
フランス系の人なので、発音としてはドラランドの方がより近いとか。
ドイツまで足を運んで調査をされた、
横浜美術館学芸員の中村尚明さんが教えてくださいました。

関東大震災以前には、こうした西洋館がたくさん山手に建っており、
デラランデの作品もポール邸の他にいくつか知られていますが、
残念ながら、ほとんどが震災で倒壊したと思われます。

写真の裏にあった"Villa Pohl Yokohama"の書き込みを手がかりに、
設計者や施主、住所などを推理していった過程については、
『ハマ発Newsletter』8号に詳しく書きましたが、
重要なのは、この写真が本に掲載された印刷物などではなく、
オリジナルの写真だということです。

この写真を当館にご寄贈くださった臼井さんのお父様は、
デラランデ事務所でドラフトマン(製図工)を務めており、
そうした背景と建物の特徴的なデザインから、
この洋館がデラランデ設計だと判断する決め手になりました。

デラランデは山下町54番地にあったイリス商会の社屋を設計しており、
同商会にルドルフ・ポール(Rudolf Pohl)なる人物が勤めていたことから、
彼の山手での住所の変遷を探っていったところ、
何度か住所を変えているなかで山手125番地周辺の地形が、
見事、写真の状況と一致したというわけです。

さてこのたび、次の企画展のことを知った臼井さんから、
デラランデに関する新情報が寄せられました。
なんと!デラランデ事務所員の集合写真が発見されたのです。

デラランデは本町通り沿いの山下町75番地に事務所を構えていましたが、
その事務所前と思われる場所での所員の集合写真。
デラランデをはじめ臼井さんのお父様も写っておられます。
デラランデの写真は日本国内にはないはずですから、
これは本当に貴重な発見です!

写真は今大事にお預かりしております。
展示で紹介できるのが今から楽しみです!

(azul)

# by tohatsu | 2009-03-09 09:17 | 展示案内