フランス海軍病院
はい、こんにちは。ショップ一押しの「文明開化 横浜俯瞰図」、
今回も容赦なく1枚しか買わなかった azul です。
今日は、(吉)さんがお昼にエビワンタンをご馳走してくれて、
ひとりで心温まっていた一日でした。
気がつけば、GWが終わろうとしています。
GW中は、3日から5日まで毎日展示解説をおこないましたが、
5月の展示解説はいったんこれで終了。
来月からは月1回になります。
日が近づいたらこのブログでもお知らせしますね。
さて、今日からは企画展「横浜建築家列伝」の出品資料をもとに、
見どころを少しずつ紹介していきましょう。
今日は、第Ⅰ部「横浜開港と居留地建築家たち」から、
「フランス海軍病院」の写真を紹介します。
この写真は、今回の展覧会で初めて公開するもので、
これまで知られていた写真とは、別アングルで撮られたものです。
この建物、とっても不思議でしょう?
まるでお寺のように大きな屋根が載っていて、
なんと正面には鳥居が据えられています。
この建物は、1864(元治元)年頃に建てられたフランス海軍病院で、
今のホテル・ニューグランドのあたりにありました。
よく見ると、よろい戸をもつ縦長のガラス窓が設けられていて、
建物としては洋風の作りをしているのですが、
唐破風をもつ正面玄関をはじめ、
そこかしこにある和風の要素が強い印象を残します。
いったい洋風にしたかったのか、和風にしたかったのか、
どっちなんだ!と言いたくなりますね。
建築史の世界では、それまで洋風建築など見たこともない日本人大工が、
見よう見まねで作った、ちょっと不思議な洋風建築のことを、
「擬洋風建築」と呼ぶことがありますが、
この建物はどうやらそれとも事情が異なるようです。
当時、建設現場を担っていたのは日本人の大工たちですが、
いくらなんでも、彼らは神社という聖域への入口である鳥居を、
病院の門として使ったりはしないでしょう。
また左右の翼部を突き出した左右対称の建物構成から、
施主(フランス)側の明確な平面計画があったことが推測されます。
とすると、この不思議な和風デザインは施主の好み・・・?
堀勇良氏は、この建物を「擬和風建築」と表現されましたが、
なるほどフランスによるジャポニスムを読み取った鋭い指摘です。
(堀勇良『外国人建築家の系譜』)
幕末から明治初期にかけての古写真を見ていると、
他にも、こうした和風要素の強い建物があることがわかります。
横浜開港=洋風の街並みの誕生という、
ともすれば単純に図式化されがちな横浜の都市形成史に、
これらの建物は、ちょっとしたスパイスを与えてくれる存在です。
やがて居留地では、本格的な洋風建築を「設計できる」建築家が登場しますが、
その話は、また次回に。
(azul)
by tohatsu | 2009-05-06 18:52 | 展示案内