昭和戦前期、フェリスの受験生
今日は午後から大雨ですね。昨日・おとといとかなりの暑さだったので、少しほっとします。
さて当館は、昭和戦前期(12~17年)フェリス和英女学校に在学していた女学生が
旧蔵していた資料群を先月入手しました。
このなかには女学校の受験と学園生活をしのばせる資料(入試要項・試験問題・作文など)が
含まれていてなかなか貴重ですので、
このブログで速報的にご紹介したいと思います。
この資料の持ち主は女学生は保土ヶ谷区保土ヶ谷町にお住まいだった百合子さん。
保土ヶ谷尋常高等小学校時代には
秋の運動会の「百米徒競争」で一等賞をとるなど
活発な少女でした。
昭和12年3月に尋常高等小学校
(6年制の尋常小学校に続く2年制の小学校)
を卒業する予定だった百合子さんは
女学校(高等女学校)の受験を考えていました。
尋常高等小学校卒業後の女子の進路としては、
・女子師範学校(教員養成)
・実業学校(職業・技術教育)
などがありましたが、
明治32年に制度化された高等女学校は
女子に対する一般普通教育を目的としており、なかなか人気がありました。
男子の「旧制中学校」に対応する中等教育機関にあたります。
明治38年の高等女学校への進学率は5%未満でしたが、
大正14年には15%、昭和15年には20%近くまで上昇、
大正から昭和初期にかけて急速に学生数を拡大させていきます。
在学期間は3~5年でしたので、今の中学・高校にあたるわけです。
百合子さんは昭和11年の秋ごろから横浜の女学校の
学校案内を取り寄せて進学校の検討をしています。
上の画像は山手の共立女学校(現・横浜共立学園中学校・高校)
の「入学志願者心得」。
募集定員は80名。
考査方法は、「小学校調査書」「人物考査(口頭試問及び筆答試問)」
試験日は3月13日、合格発表は3月15日でした。
このほか、捜真女学校、横浜市立高等女学校、横浜女子青年学院、フェリス和英女学校の
入学案内が資料群のなかに残されています。
さて、受験をひかえた百合子さんは「模擬試験」を受けようとします。
上の画像は、東京・神田の「初等教育会」なる団体が実施していた
模試のちらし。
「神奈川県中等学校入学試験新方針による模擬試験」
とあり、入試の「新方針」に対応していることをアピールしています。
模擬試験の日程は、
入試本番の約1ヶ月前の2月14日。
横浜では、桜木町駅近くの朝日講堂(朝日新聞社内)での
開催が予定されています。
受験費用は50銭(1000円程度)で、
試験の上位5名には「美術置時計・高級万年筆」を
贈呈するとあります。
昭和はじめは意外にも「お受験」が盛んだったのです。
受験勉強の甲斐あってか
百合子さんは無事フェリス(正確にはフヱリス和英女学校)に合格。
3月22日付けで合格通知をもらい、
入学金2円(4000円程度)を納めて
昭和12年4月から山手の女学校生活を開始します。
つづく……
(吉)
by tohatsu | 2012-07-20 14:54 | 調査余話